へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

【社会問題】やりたいことのない人が多すぎる

 今日は自分が小さいころからずーーっと考えていたことについて書いてみようかなと。

 

 本当に純粋に、小さいときから何でみんながそんなに「やりたいことがない」のかが分からなかった。「夢ややりたいこと」を持っている人がそこまで偉いとは思ってないし、自分がスゴイことを主張したいわけじゃない。自分もまだまだ未熟だし、たくさんの人に支えられて今があるのは重々承知。という前提の上に、それにしても「やりたいことのない人」は多すぎる。寧ろそういう人がマジョリティで、自分の方がある意味特異なのは知っているけれど。

 

 今振り返ると物心ついたころから自分に「夢」がなかったことはない。一番最初は電車の車掌さんになりたかった。ロマンスカーがかっこよくて大好きだったから。幼稚園から小学校の初めくらいは海猿になりたかった。伊藤英明が死ぬほどかっこよくて、加藤あいも死ぬほどかわいかった。次は消防士だった。誰かの命を救えるくらい強い人間になりたかった。その次は総理大臣。日本で一番偉い人間になってみたかった。で、10歳くらいの時に今の夢に出会った。一生これをして、これでお金を稼いでいきたいと思った。そこからは変わらない。

 自分の人生は2つに分かれる。10歳までの夢を見つける期間、10歳からの夢を叶える期間。

 

 でも、小学校の時から大学に入るまでにそんな明確な夢を持った人に出会ったことはなかったかもしれない。「夢」「やりたいこと」そういう話になったときに僕はいつも一人だった。

 

 なぜかみんなは、「安定した収入」とか「一生食っていける」とか夢のないことを言っていた。今でも高校の知り合いは、とんでもなく能力が高いのにも関わらず「受かったところに行く」と言って何十社もの就職試験を受けている。

 

 それが、本当にわからない。確かに自分はロマンチストで夢見がちで現実を軽視していて、馬鹿すぎるくらいに楽観主義的なのかもしれない。でも(これは高校受験をする時くらいに思ったけど)、自分の夢がかなわない人生は耐えられなかった。死ぬ気で挑戦しないで夢を諦めることは出来なかった。逆に、挑戦している限り自分は夢の中で、夢のような人生を歩むことが出来た。

 

 もしかしたら、自分が他の人に比べてとんでもなく幸運だっただけかもしれない(自分がとても恵まれていることは自覚している)。両親は自分に「そのレベルじゃ夢は叶わない」と言い続けたけれど、必要な支援を惜しむことはなかった。学校の先生も、塾の先生も、親戚も、みんながみんな応援してくれたように思う。夢を叶えるということに関して「諦めよう」とか「絶対に無理だ」とかって思うことは一度もなかったし、そう思わされることもなかった。

 一段一段、粛々と階段を上っていくだけだった。

 

 高校受験で死ぬ気で努力したので、高校は東京でも有数の進学校に入った。なのに、大学受験の時みんなは「潰しの利く」「選択肢の広がる」大学を選んだ。高校生になった自分は薄々気付いていた。みんなが何かを選択することはほとんどないんだなあと。小学校から大学まで、16年間かけて広げ続け、勝ち取ってきた選択肢を前に、みんなが選択することはない。

 現に、高校の同級生たちは「受かったところに」行くらしい。もしかしたら一生をその企業・その仕事に捧げることになるかもしれないのに。

 

 だから、自分は本気で夢を追いかけて、夢を追い続けることのすばらしさを知らしめてやろうと思った。仕事は仕事、趣味は趣味の人たちに、好きなことを仕事にするのは不可能だと思っている人たちに、夢を見てほしいと思った。

 リアルの友達がたくさん見ているインスタグラムで、いっぱい写真を投稿した。夢に続く階段を一歩一歩上っていく自分の写真を。結局、「私には無理だけどいいね!」が集まった。誰かに「自分も夢を叶えられる」と思わせることには失敗した。

 

 まだまだ自分の夢も途中だけど、どうすれば本当の意味での同朋が増えるかもっと良く考えてみようと思う。とりあえず、リーダー論として背中で示すことが必要だと思ったから自分のことに集中して頑張って来たけど次のアクションを考えないといけない。

 

 最後に、日本で何かに挑戦するのは本当にローリスクであることを主張しておきたい。ものはたくさんあるし、社会は成熟しているし、大きな失敗を経験したことがない自分が言うのもあれだけど、失敗しても必ずまた立ち上がれる国だと思う。食べ物に困ることはない。家に困ることはない。着る服が手に入らないこともない。

 

 やりたいことをやろう。