へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

【向き合う】

大学の授業が先週から始まったりして、中々更新できない日が続いておりました。下書きは書いたりしているんだけど。で、今日はどうしても書きたいなと思うことを一気に書いてみようと思います。書きながら自分の頭の中が整理されていくだろうし、やっぱりみんなに考えてほしいことなので。

 

今日、テラスハウスに出演中の木村花さんが亡くなりました。たびたびブログにも書いたけど自分はテラスハウスが本当に好きで毎週欠かさずに見ていました。今日の午後くらい、大学の同期からそのことを聞いて、今日はほとんどTwitterでみんなの考えていることを見たりしながら過ごしていました。

 

「彼女が亡くなって本当に残念です。御冥福をお祈りします。」て書くのは簡単だけど、そういう気持ちなのは当たり前なんだけど、話はそんなにシンプルじゃないと思うから、伝えられるかわからないけど書いてみようと思います。

 

まず、自分の中にある一番大きな気持ちというか、考えというのが「テラスハウスをみて喜んでいた自分も、花を自殺に追い込んでしまったアンチと同じ、共犯なんじゃないか」ということ。多分「共犯」とまで考えるのは極端だと思うし、ただネットフリックスの動画を見ている一視聴者というだけで悪いことをしたというのはおかしな考え方だと思うけど、でもそういう意識を持たずにはいられなかった。

 

テラスハウスはちょっと過激な番組で。「6人の男女に、番組が用意したのは素敵なお家と素敵な車だけ。台本は一切ございません。」という”設定”(台本のあるなしは実際のところわからないの)で、人間のリアルな部分を映し出す番組です。6人の男女が只々生活する中で浮き彫りになる、綺麗な部分や醜い部分を視聴者たちは面白がって楽しむ。番組の構造がもともとそうだから、入居者たちのSNSには毎話公開されるたびにいろんな人がいろんなことを言いに行く。youtubeには「山チャンネル」というものがあって、山ちゃんが辛口なコメントで番組を振り返るんだけどそのコメント欄も毎度荒れに荒れる。人間が奥底に持つ美醜を目撃してギャーギャー楽しむというのが醍醐味なのかな、と。

 

世界中で大人気になっているそうだし、著名人の方たちの中にも「テラハ好き」を公言する人はたくさんいる。「有名人も見ているんだから自分も悪くない」という考え方は筋が通らないと思うけど、視聴者である僕らはこういう番組の構造を客観的に把握することも必要だと思う。「人間が大事に隠している自分の中の醜い部分」を暴き出して、それを楽しんでいるっていう卑劣な構造の中にいるかもしれない、というのは分かっておくべきなのかもしれない。

 

とりあえず、半日考えたうえでの僕の結論としては「視聴者であるだけで共犯なのか」という問いに対する答えは「否」だけど、「共犯になりうる」というのが正確なところだろう。

 

話は変わって。正直、僕は木村花という住人が好きじゃなかった。「早く卒業して他の人が入らないかな」って思っていた。彼女の子供っぽい、幼稚な言動は不快だったし、快の事件の時も自分のことを棚に上げて快に怒りをぶつける花に疑問を抱いていた。無論、それを何かに書きこんだり本人に伝えたりしようとは思わなかったけど。でも、Twitterや山チャンネルで自分と同じ考え方の人が大勢いることに、安心感を覚えたり、そういうコメントを探してしまったりしたかもしれない。

 

事後の反省で本当に申し訳ないけど、確かに僕は木村花を嫌いになれるほど木村花のことを知ってはいなかった。自分は女子プロレスのファンでも何でもない。から、もちろん会ったこともないし彼女の試合を一試合まるまる見たこともない。話したことももちろんない。スクリーンに映し出される彼女の抜き取られたごくごく「一面」を見て嫌いだなと感じでいた。彼女を嫌いだと感じさせようとする番組側の意図にまんまと引っかかったのかもしれない。

 

世の中には自分と合わない人だっているし、全員を全員愛せるわけじゃない。けど、本当にそもそも、僕らのほとんどは「木村花」という人間の1%も知らずに「すき」だの「きらい」だの、そういうことを言っていたわけ。その「1%も知らずに好きだの嫌いだの言っていた自分」にすら気付いていなかったわけ。アンチコメントを直接本人にぶつけたりする人はまずそのことに気付くべきだと思う。

 

で、僕たち人間は知性ある生物として生きる限り出来るだけ同じ失敗を繰り返さないようにしなきゃいけない。こんなに悲しいことが二度と起こらないように、みんなで考えないといけない。

 

僕の提示する解決策は「死ね」という言葉を誰かに向けて発することを禁ずるルールを作ること。小学生の頃、アメーバピグで「ああなる」と打ちたくて打てなかったのを今でも覚えている。その文字列にアナルが含まれていたからだと気付いたのは中学生になってからだったけど。Twitter社さん、とりあえず「死ね」くらいは禁止にしませんか。言論統制になるっていう人が絶対いるだろうけど、誰かが死んでまで守らなければいけないものはありません。本末転倒です。「死ね」の二文字で傷つく人がたくさんいるんだから、もう禁止にしてもいいんじゃないでしょうか。youtubeでもinstagramでも、禁止にしたらどうでしょうか。少しは優しい世の中になるんじゃないでしょうか。

 

自分の中に、色んな感情が巻き起こるのは仕方ない。人間だもの。でも、伝え方を変えることは出来る。伝えるかどうかは決められる。みんな、ちゃんと脳みそがついてるんだから考えよう。大丈夫、僕たちはもっとましな存在になれる。