へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

独立記念日

最近はいつもこうだ。朝起きると喉はカラカラで、まさに命の水を求めるかのように冷蔵庫に入っているスプライトを流し込む。2Lあったこのペットボトルも今日でなくなってしまうだろう。こっちにいてからというもの、コーラとスプライトばかり飲んでいる気がするが、朝はスプライトに限る。すっきりしている。新しいスプライトを買っておかねば。

 

今日は愛について考えたい。これはオナニーの話でもあるのだけれど、それはとりあえず頭の片隅に置いておいて、僕の生きる最大の目的は愛だと思っている。自分の愛する人と一生添い遂げるために生まれてきたんだと思っている。思えば、覚えてるうちで最初の欲求はモテたいだった。今の環境も、ここまでつないできたこれまでの人生も、ある意味それを達成するために歩んできた。

 

ここで、一つ問題が生じる。僕は愛を、相手のために捧げたいと思っているのに、自分はそのこと自体で満足することができる。一歩間違えば、僕の愛が相手の幸せにつながっていなかったとしても僕は満足することができてしまうかもしれない。何しろ自分は好きになったらその人が存在しているだけで幸せになれていしまうような質である。これじゃあいけないと思う。見返りを求めながら、というか、見返りを求めているのに、愛、と言っていいのだろうか。

 

優しさも同じことである。見返りを求めた、ギブアンドテイクを前提とした施しは、取引だし、媚び諂いになりかねない。僕はそういう下心をもとに、他人に媚び諂ったり、優しさを押し売りするような人間が好きになれない。それは善意じゃない。○○してあげたって考えること自体が悲しい。

 

強くないと、余裕がないと、僕の考える善意は具現化しないんだと思う。この先も、見返りを求めることなく、愛したい。そんな人間を目指したい。

 

そういう意味で、オナニーは害悪だと思う。自分が何を頑張るわけでもなく。何か出来たわけでもなく、快楽を得られる。気持ちよくなれる。満たされたと感じることができる。違う、僕は一人で満たされるわけない。でもそういう風に感じさせられる。オナニーするとやる気がなくなる。愛のために生きているのに、好きな人と愛し合いたいのに、究極にはセックスして子供が欲しいのに、そのために頑張っているのに、オナニーでそんな気にさせられたらたまったもんじゃない。騙さないでほしい。

 

オナニーに逃げずにもっと戦って強くなって、愛を手に入れないと。

 

そんな独立記念日でした。