へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

遺していくもの、DNA、ミーム

 以前も書いたかもしれないけど、自分は親と血が繋がっていない。正確には、片方の親とは血が繋がっていない。それは自分にとってかなり普通なことで、特別この関係を厭だと思ったこともなかったし、それを受け入れていたという点ではかなり幼少の頃から自分は精神的に大人だったのかもしれない。

 

そして今、20代になって(まだ学生だけど)バイト柄結婚というものが大きく目の前に見えてきた時、考えることがある。現代において、「自分の血を繋いでいく」ということにどれほどの価値があるのだろうか、と。「血」よりも、「名前」を繋いでいくことの方が重要なのではないか、と。

 

というのも、我々人間の生物学的な成功とは、遺伝子の拡散ではないような気がするのである。それよりも、「○○家」という名前の拡散の方が、より実質的な成功と言えるのではないだろうか。自分は父親のDNAは受け継いでいないけど、名前を受け継いでいる。更に言うなら、父親の考え方や生き方に最も影響を受けているのは自分なのではないかという気もする。当然、自分が人間として生まれている以上、今の父親とは別に「血」を受け継いだけど「名前」は受け継ぐことのできなかった父親も存在する。

そうした二人の父を前にして、どちらの父の方が生物学的に成功しているのだろうかと言うのは、純粋に興味がある。

 

この問いに答えを得られたかと言って、無責任に遺伝子を拡散する種馬になる気もないし、孤児を育てまくる「あしながお父さん」になる気もないけど、それでもこれからの生き方の一つの指標にはなると思う。

 

個人的な実感としては、上にも書いた通り「名前」を遺していくことの方が意味のある事のようにも思える。だから、連れ子のいる人とも結婚できると思うし、自分の子供が出来なかったら養子をもらってもいいと思っている。自分の「血」よりも、自分が稼いだお金で養い、社会的に「自分の子」として名前を受け継いでくれる子の存在を大事にしたい気もする。

 

まあもともと答えのある問いではないと思うけど、最近はこんなことを考えていた。