へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

【イチローは仏】無欲の話

 うん、一昨日くらいの投稿から日々どうしたら優しくなれるかを考えていますが今日はちょっと違った味のものを書いてみようと思います。

 

 今日、緊急事態宣言が解除されるみたいだけどようやく経済活動が再開されそうで安心してる。正直、早期のロックダウンに失敗した以上は中途半端な規制(?というか国民の良心に丸投げの自粛要請)を続けるよりも感染リスクを減らしながらどう社会生活を維持していくかを考える方が良いと思っていたので「ようやくか」と言ったところ。

 

 自分は三密でないことを過度に規制する風潮も疑問に思っていて、他人との接触が極端に少ないことは積極的にしていたのです。例えば公園の封鎖とか、バカバカしいなと思っていて。そりゃぎゅうぎゅうに人が集まったら困るだろうけどソーシャルディスタンスを確保したうえで公園を利用する分には感染リスクもくそもないだろうと思っていたり。

 

 で、本題は父親と一緒にゴルフの練習をしながら思っていたことを書いてみようかなと。(ゴルフについて賛否両論あるのは知ってるけど三密じゃないし別にいいじゃんと思って週一くらいで練習場に通っていました)

 

 やっぱりスポーツも、心の鍛錬的な側面があって「上手くなりたい」という気持ちならいいんだけど「上手い自分を他人に見せたい」とか「目立ちたい」とかそういう気持ちだと限界があるのかな、と。練習場ではひたすらボールを打つだけなんだけど、横並びに15個くらいある打席で他の人が打っているわけで。ようは、他人の目が気になってしまうということなんですよ。「他人の目にどう映るか」を意識しちゃうと自分の体の動かし方に集中できなくなって、結局いい球は打てない。そういう雑念が入らないようにする訓練なのかな、と。

 

 で、究極の例がイチローさんなわけです。彼は言わずと知れた偉大な野球選手だけど多分仏のように無欲で真摯に自分自身や野球と向き合ってきたんだと思う。その証拠に、大きなけがはしていないんだろうし日本人の体格でも世界と渡り合えるほどの技術を持っている。与えられた体を無理なくそれでも極限的に上手く使う技を磨いてきたのかなと思うわけです。

 

 だから、多分イチローは大抵の欲望を捨てることが出来たある意味で生き仏だと思う。あんな風に悟りを開くのは本当にすごい。

 

 よくスポーツの中では「どれだけ恵まれた体を持っているか」が話題になるけど、本質はそこじゃない。いかに真摯な心を持って禅的な観点から自分の技能をしなやかに磨いてきたかということが大事だと思うわけです。もちろん筋トレとか、悪いことじゃないと思うけど、安易に力を求めてトレーニングに走ると結局は体を壊すことになるんだと思う。

 

 自分は身長が小さかったけどバスケ部で、誰よりもたくさん走って誰よりも真剣に愚直に練習することで上手くなろうとしたけど結局はオーバーワークでしょっちゅう膝を痛めていた。「楽しむ」ということが足りていなかったと思うしどうすればもっと上手に体を使えるようになるか、そういうことを頭で考えることも重要だったんじゃないかと思う。

 

 最近は練習場で「この一球を打つということに全宇宙がある」とかわけわかんない哲学の中でボールを打っていました。以上。