へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

50記事書いたら公開する話

昨日は霜が降りたけど、今日は初雪が降った。正確には昨晩、運動しに外に出ようと思ってアパートの玄関まで行くと、大きな綿みたいな雪がふわふわと宙を舞っていた。そこで運動するのは諦めるわけだけど、東京に住んでいると雪は珍しいものなので自分にはいやに幻想的な風景に見えた。今朝目を覚ますと、アパートの中庭は白く染まって、少量ながらも積もっている雪を見ることが出来た。まだ10月も始まったばかりだというのに。

 

さて、6月くらいに始めたこのブログだが、今回でだいたい30前後回目の更新を迎える。当初は公開しないつもりで淡々と書いてきたが、今では50記事くらいまで書いたら親しい人には見せてもいいかなと思っている。やっぱりこういう自分の内から湧き出るものを書いてしまっているものは人に見せてみたくなるものだ。

 

高校生の頃までは主にtwitterがそういった自分の開示欲求みたいなものを満たしていた。一般に公開している、親しくなくても知り合い程度なら見れるアカウントの他に、フォロワーが一桁台の本当に親しい人だけが見れるアカウントを作ったりして自分の内面を誰かに見てもらっていた。特に腹黒いこととか、人の悪口とかを書いていたわけではないのだけど(そういうことはしないに限るのは明らかだよね)ただ、自分のこの癖の強い思考回路とか、公に語るには少し恥ずかしいようなことを書いていた。

 

普通に承認欲求の1部だったと思う。大勢の人にはわかってもらえないだろう自分の考え方とか、完ぺきではない自分の弱さとか、そういうのを人に見てもらって、許してもらいたかったんだと思う。自分のツイートにいいねがつくのが嬉しかった。誰かが自分のことをわかってくれるのが嬉しかったんだと思う。ついでに裏垢の方は、仲のいい女の子ばっかりに教えていたので少しでも自分が気に入っている女の子と接点が持てるのも嬉しかった。

 

でも、大学に入ってからはtwitterじゃしんどい部分が出てきた。あの140文字という限られたフィールドで、自分の考えをじっくり述べたり、人と議論を交わすのはどうしても限界があった。高校の友人の生存確認をするのはインスタグラムで事足りたし、本当に話したい人は電話をすればいい話だった。だから、こっちに来て暫くした時にtwitterのアカウントは消してしまった。twitterに時間を取られるのにもうんざりしてたし、まあよかったと思う。

 

そういうわけで、twitterの代わりに自分の自己開示欲求みたいなものを満たしてくれているこれもそのうち公開しちゃおうかななんて考えてる次第だ。こういうのは扱いが難しいけれど、公開する相手を間違えなければコメントとかを通じて素敵なフィードバックが得られるかもしれないし、アクセス解析を見れば少なくとも自分の承認欲求は少なからず満たされるわけである。

 

まあでも公開するとなるとどの範囲に向けて公開するかは非常に悩ましいところではある。最も狭くしようとすればもう大体の公開したい人の目星はついているんだけど、人選はしっかりしないと不必要に傷ついたり傷つけてしまうことになる。自分の思想に関してはいいも悪いもないと思うけど、自分の行動に関しては明らかに誰かを傷つけたりしてしまうものだ。

 

一番の悩みどころはあの子にこれを見せるかどうかだけど、うーん、どんな結末になるか全く予想が出来ない。でも、今の悲痛な心の叫びを吐露してしまえば確実にあの子に読んでほしいのだ。だって僕のことを一番理解してほしいのはあの子なんだから当たり前といえばそうなんだけど、とにかく自分をあの子に向けて開きたい。理解してほしいとか共感してほしいとかそういう高次な欲求は置いておいて、とりあえず知ってほしい。普通に日本とアメリカで連絡を取ってるだけだとこんな自分出せるわけないんだから。

 

ついでに、最近はお勉強や諸々に励んでいるので励めば励むほどあの子に連絡を取りたくなっている自分がいる。あの子から送られてきた文を読みたい、あわよくば電話したい、声を聴きたい。こういう気持ちもあんまり押さえつけすぎないほうがいいのはわかっているけど、とりあえずタイミングを見るしかないよね。そのうちこの気持ちが素敵な曲になってたりしたらいいな。

 

50記事になるまであと15記事くらい、ということは少なくとも1か月以上はあるのでそれまでにゆっくり考えておきたいと思う。それではごきげんよう