へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

若者であるということ

風呂上り、着色料で舌がおぞましい色になるファンタ・ベリー味を楽しみながら、今日も夜風に当たる。今宵はやることが割とスムーズに出来たので上機嫌だ。だんだんいいリズムを取り戻し始めているのかもしれないし、そうではないのかも知れないけど。

 

突然だけど、僕は若い。絶対的な数値で見ても、僕がこの世に生を受けてから、地球は太陽の周りを20周もしていないのだ。同じ仕事の同期の仲間たちから見ても、マジョリティではあるけれども一番大急ぎでこの職業に向かってきた現役組の一人である。今日は若さと、成功について今の人生哲学を(地球が20周もしないうちに哲学なんて立派なものを手に入れたなんて言っていいのかわからないけど)書きたい。

 

僕の考える若さとは、失敗できることである。失敗を経験できることである。または、失敗を経験させてもらえることである。生物はみんな、生き延びるため、種の繁栄のために、失敗することを許されない。天敵から逃げるとき、獲物を追いかけるとき、失敗したほうが生から、種の繁栄から遠ざかる。でも、若いうちは違う。大人になる前なら、親の庇護のもとに失敗が許される。JK,JDとか、若い女の子は一時の美しさと瑞々しさを若さだと思ってるけど、若さの本質はそうじゃないと思う。男は、体力と持て余した自由を若さと勘違いしがちだけど、本質はそうじゃないと思う。

 

さっきも書いた通り、大人になったら失敗できない。失敗しないためにはどうするか、それは失敗するしかないと思う。大なり小なりの失敗が積み重なって、新たな失敗を遠ざける堀と塀が出来上がってくる。

 

成長とは、成功に向けて歩んでいく中で、失敗することだと思う。ぼんやりとした失敗はあまり意味がないと思うけど、自分の歩きたい道がわかってて、そっちの方に確実に進む中での失敗はどんどん自分を押し上げると思う。そこで大事なのは出来るだけ自分の足で歩くことだ。人の助言とか、成功論とか、聞いただけで自分がちょっと前進できたような気にさせるけど、自分自身で痛みを感じないと自分のものには出来ない。

 

最後に、成功とは、なるべく多くの行き止まりに阻まれた末の、やっと辿りつけた出口だと思う。どれだけ失敗しても、進むのをやめなければ誰だって成功できる。あたりまえだけど。もう一度、若さとは、行き止まりに阻まれても殺されないで済む免罪符だ。

 

書いているうちに書いていることが当たり前すぎて恥ずかしくなってきた。まあ明日からも頑張って前進しようと思います。まだまだ負けるつもりはありません。だって若いから。