へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

余暇

昼下がり、外は太陽がまぶしくて車の外板にきらきら反射して、自分はスプライトを飲みながら窓の目の前にあるもみの木が揺れるのを眺めている。人生の夏休み、アメリカのド田舎では行く場所もやることもなく、家のなかでぼんやりとしていることが多い。

 

ふと日本にいた大学一年生の頃を思い返すと、異常なまでにせわしない日々だったと思う。授業は高校みたいに朝から夕方まであって、とにかく寝ないように頑張って受けていた。学校から帰れば飲みに出かけたり、楽器を吹いたりして、休日は品川のホテルまでバイトに出かけたり誰かと外を歩いたりオケの練習に行ったりした。今みたいにぼんやりしている暇なんて微塵もなかった。

 

自分はどちらかといえば東京にいたころの暮らしの方が好きだ。毎日やることがあり、行く場所があり、会う人がいた。いまは特にやることもなく、行く場所もなく、特別会う人もいない。会う人が少ないからかよくインスタグラムをチェックしちゃうけれどよく考えてみればそれは日本にいたころも変わらなかった。

 

SNSをよく見るのは暇だからだと思うけれど、どうせ暇なら誰かとつながって居たいという深層心理なのだろうか。でもあんまり希薄な人間関係は僕は苦手だ。あまり関わりのない人たちと友達面をして表面的な付き合いをすることに意味を見出せない。もっと言えば自分が人間的な魅力を感じない人とは付き合いたくないし、そういう人に時間やお金を費やしたくない。

 

そうやって自分が苦手な人とは関わらないようにしていると冷たいと言われるけれど、表面的な付き合いを続けて本当に相手が困っているときに何もしてあげられないことの方が残酷だと思う。人間がそもそもこうやって社会を形成して群れるのは助け合うためなのに。

 

人間関係の話はこれくらいにしておいて、この人生の夏休みをどう有効活用するかについて思いを巡らせたいと思う。今のぜいたくな暮らしもあと一年程度で終わってしまう。何事もバランスが大事だけれど、上手に休憩しながら出来るだけたくさんのことを学びたいというのが僕の理想だ。学びたいと思ってそのままほったらかしにしてある積読本には申し訳なさで頭が上がらないけれど。

 

現実はなかなかうまく行かなくて学びのモチベーションを保つのは至難の業だし、生活リズムも学びには適してなくて、自由な時間を浪費してしまっている。一日に何時間か意図的にとってその時間は勉強するとかできたらいいのだけれどなにぶん集中力が続かない。

 

もうちょっと隠居中のおじいちゃんのような生活が出来たらな、と思います。