へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

思い出の美化

あと一週間で帰国まで残り1年を切る。アメリカに来てから約5か月が経った。アメリカに来たばかりの頃は日本に帰りたいと毎日思い、日本のくらしがどんなに楽しかったかによく思いを馳せた。同時に、アメリカの暮らしがどれだけつまらないかを嘆いた。

 

人間、5か月もあれば大体の環境に適応できるものである。今ではアメリカの暮らしにもある種の快適性を見出せることが出来るし、そこまで帰りたいと思うようなこともなくなってきた。日本の暮らしとアメリカの暮らしを客観的にみられるようになってきたのだ。

 

今日になって思うのは、今まで日本の思い出を美化しすぎていたんじゃないのかな、ということだ。日本にはたくさんの思い出がある。遊びに行った場所は計り知れないし、小中高の思い出もきらきらしている。毎日通って飽き飽きしていたはずの地元の商店街にさえもノスタルジアを感じる始末だ。

 

そういった日本の数々を本当に良かった思い出として宝石のように語ることは今の自分にとってとても容易い。住んでいたころは何も感じなかった実家でさえ、自分にとって本当に快適な場所に感じられる。

 

でも、自分がその思い出の中にいたころはそうは感じていなかったはずである。特に小学校や中学校、高校に通っていたころは単調な日々の連続につまらなさを感じていたはずである。反面、ブレーキをかけることを知らず、ただただ怒涛の如く過ぎていくときの流れにも戸惑いを感じていたはずだ。今はこれだけあの日々に帰りたいと切望するほど、日々の情景、非日常の体験のあれこれを幸福な思い出として思い起こせるのに。

 

なんで経験しているその時その瞬間にその時の尊さに気づくことが出来ないのだろうか。それに気づくことさえできれば、自分はもう少し幸せを感じながらここまで進んでこれたと思う。結局いま気づけただけいいのかもしれないけれど。

 

こうやって考えてみると、今の自分も全く同じ過ちを繰り返しているように思える。

 

確かに、アメリカの暮らしはある種とても退屈である。車も与えられていないし、日本にいたころのような鉄道も走っておらず、考えようによってはこの田舎町に閉じ込められているようなものだ。遊びに行く場所もないし、普段の生活で行くのは大学と空港とウォルマートのみである。自由な時間はたくさんあるけれど、ゲームやガンプラに費やして終わっている。

 

でも僕は確信している。一年後、自分が日本にかえって少ししたら必ずこの日々を思い返し、戻りたいと思うのだ。あれだけ自由な時間がたくさんあり、のんびりとした暮らしを楽しめたことはなかったと後になってから考えるのだろう。

 

これからは最初から、きらきらした日々として、毎日を生きようと思う。