へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

愛、夢、あこがれ

今日は珍しく昼間にものを書いてみようと思う。自分の読書のペースは大体月に五冊くらいだけど、(といっても、大体の本は面白いので一日で読み終わる)たまに本当に書いてることの頭が悪すぎてうんざりする本に出会ったりもするものだ。そもそも書いてあることに矛盾が生じている場合や、極端な理想論ばかりを語って具体的な方策が何一つ示されていない本などはがっかりする。

 

とはいえ、自分でこうやって物を書いてみると文章を書くことの難しさがわかるので、一概に批判は出来ない。自分もこうやって乱雑な文章を垂れ流してしまっている一人なのだが、いつかは自分が胸を打たれる本のような立派な文章を認めたいものである。

 

さて、今日は愛と夢の違いについて考えようと思う。愛と夢は、どちらもその人ややりたいことに憧れているという点で同じだと思う。それではそのあこがれの対象が人かそうでないかだけであとは同じかというと、それもまた違うように思える。

 

夢は、自分がそこまでせっせと餌をやらなくても自然と育っていくが、愛は定期的にえさを与えてやらないと育つのが難しいような気がするのだ。例えば、僕は10歳の時からパイロットを夢見て、それが変わることは一度もなかったが、10歳の頃から同じ人を愛し続けたかというと明らかにそれはないことがわかるだろう。

 

今のところの自分の考察では、愛は人間の本能的な欲求である性欲と直結しているためにそれを常に満たせなければならないが、夢の場合は社会的な承認欲求や自己実現の欲求など、より高次な欲求と結びついているために、たとえ常に満たされていなくてもあこがれ続けることが出来るのだと思う。

 

ここで、性欲というといやに低俗な香りになってしまうが、僕が言いたいのは必ずしもセックスをするとかそういうことではなくて、愛する人によって自分が満たされること全般のことを言いたい。例えば、遠距離恋愛カップルは毎日夜を共にすることが出来なかったとしても毎晩電話をしてお互いの声を聴くことが出来ればそれで事足りるだろうし、小学生なんかはたまに好きなこと帰り路を一緒に歩くだけで満たされるかもしれない。どんな形であれ、相手の存在によって自分が満たされる、癒されることが必要になってくるのではなかろうか。そう考えると夫婦生活が続くかどうかは体の相性によるという俗説もあながち軽視はできないんじゃないかと思う。

 

なんかそういうことを考えてたらやっぱりあの子にラインをしないと日本に帰国するまでの間生き延びられないような気もしてきた…

 

まあそれは置いといて、僕が言いたいのは夢はあこがれだけでやっていけるかもしれないけど、愛にかかっているのはもっと日常の日々にかかわる問題なのであこがれだけではやっていけないということだ。愛はもっと現実を見て、自分の欲求が満たされるように設計していかないと末永く育てていくのは難しい。

 

今日はお昼寝をせずに頑張っているので生産的な一日になるといいな。それではごきげんよう(誰にも見せてるわけじゃないんだけど)