へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

不可能を可能にする話

朝早くの座学の授業が終わった後は、youtubeを見たり本を読んだりしていて、結局今は12時半である。今日はあいにく雨模様でこれから外出する用事があるので一刻も早く止んでくれないかなとしきりに予報を確認したりしている。今のところ雨は夕方まで続く様子で、風も非常に強くなってきそうで落胆している。アーメン。

 

今日は不可能をどうやったら可能に出来るのかについて考えたいと思う。自分は、自分でいうのもあれだけど割と不可能を可能にしてきた方だなと思う。中学時代は弱小バスケ部で足掻き、高校に入ればオケで初心者には難しすぎる曲でも刹那のすべてが詰まった静寂を作り出せるくらいには頑張れた。高校受験も大学受験も第一志望の学校にはいっている。今のところ人生はほとんど僕の思い通りだ。

 

都で一番二番の学校に入るのも、パイロットの道を歩むのも、どれも小学校や中学校の自分には無理だと思われるようなことだったと思いだす。そもそも自分は地頭がいい方でもなかったし、中学の成績は2年生が終わるまでは大体オール3からオール4くらい。体格にも恵まれず、運動神経は確実に悪い方だった。音楽に関しても3歳からピアノをやっている妹と比べれば目も当てられないレベルで、歌は音痴だし音感なんてものは微塵も芽生えてこなかった。こんな自分を才能にあふれていたなんて形容するのはちょっと無理があるだろう。

 

それでも、今の自分はギフトとして与えられなかったものを別のギフトによって補い、大抵の能力は身につけられるようになってきた気がする。一番大きかったのは両親祖父母の経済力による後ろ盾で、習い事はやってみたいと思えばやらせてもらえたし、塾もなかなか高級なところに通っていたように思う。何より今通っている大学の学費は他学部とは比べ物にならないくらい高い。

 

結局は保護者の経済力に守られながら、バスケは経験者とはいえるくらいまで、勉強は中三の頃にはオール5くらいに成長していたし、音楽は今では音程があっているかどうかくらいはわかるようになってきた。

 

どれもこれも、結局は良き指導者に巡り合えたことが大きいと言えるんだけど、でも今は指導者に恵まれなくても自力でいろいろなことを身につけられるような気がしている。それは不可能を可能にするメソッドをたくさんの素晴らしい大人たちから自然と教わってきたからだと思う。

 

というより、ここで結論なんだけど、世の中に不可能なことはないことに気づいてしまったのだ。どれだけ時間がかかるかはわからないし、自分が生きている時代には実現されないかもしれない。自分の人生では叶えられないかもしれないけれど、人間に不可能なことはない。いつかは全部が可能になるような気がしている。というか、可能に出来るのだと信じてしまっている。

 

不可能を可能にする一番の秘訣は諦めないことだと思う。高校の後輩で、一人とびぬけて浮いていたやばい奴の言葉に、”私は負けない。勝つまで戦う。だから勝つ。”という言葉があるが。これは実際、真理だと思う。戦い続けている限りは不可能が可能になる可能性は0にはならないのだから。

 

もちろん、根性論だけではやっていけないのはわかる。可能性を広げるための試行錯誤はしなきゃいけないだろうし、頭を動かし続けることは必須だ。それでも、根底にあるのは勝つまで戦う姿勢なんじゃないかと思う。

 

自分は根性論は嫌いな方で、根性論を人に垂れるくらいなら、具体的なプロセスや理論を述べることの方がよっぽどの有用性があると思っている。でも、でも、人を動かす根底にあるのは明らかに理論や計算ではなく心の動き、心情の変化、胸のときめきであるのも私にとってはまた自明なのである。

 

いつもだらだら時間をごみ箱に捨てる毎日だけど、ちょっとずつ日々の生産性を上げていきたいなと思う。それではごきげんよう