へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

わがままな表情

抽象画というのはよく分からない。よく分からないから抽象画なのであって、よく分かったら具体画になっちゃうんだろうけど。でも、クラシックのCDのジャケットにある抽象画に深みを感じてしまうのはいささか浅はかなんだろうか。今日はそういう気分だったのでずっと古今東西アダージョを聞いている。

 

最近自分を振り返る中で辿り着いたことといえば、もっと自分の心を客観的にわかっておかないと幸せになれないということだ。心そのものは主観的なものだから変な構造になっちゃってるんだけど、何をすれば心が喜ぶのか、何をしたら悲しむのか、もっとしっかり掴んでおかないと幸せになるのは程遠そうだ。今日はどんな時に幸せだったか書き出してみたけど、羅列しただけでそれぞれの強さとか、相関関係を追うところまでは出来なかったので明日からはそれを探る方向でやっていきたい。

 

まあでも折角いくつか書き出したので1つくらい僕の人生でかなり幸せだった瞬間を挙げておきたいと思う。決して皆さまに羨ましがってもらいたいわけではない。それは、高校1年生の夏休みの管弦楽部の合宿でのことなんだけど、まあ合宿そのものが幸せな存在であることには違いない。わざわざ暑い中心身の修業に励む運動部の皆様には申し訳ないけど管弦楽部の合宿はバカンスである。とにかく楽しいことばっかりしてしんどいことはあんまりない。自由と怠惰と狂乱の管弦楽部の象徴のような行事である。

 

合宿最後の夜はナントカ座流星群の極大に近い日だった。星の観測条件としては良くないけれど、月も大きくて立派に光っていたように思う。宇宙研究部は管弦楽部の下部組織なので(当時の宇研の部長は管弦の部員だった)宇宙研究部の機材は合宿に駆り出されていて、星空のロマンに見出されたませた高校生たちは夜遅くに天体観測を始めたわけである。本当に綺麗な星空で、流れ星もいくつも見えた。新潟の山の、夏でも肌寒い中で飽きずに寝っ転がって星を見ていた。その中でも1つか2つ、飛行機の灯が点滅しながら通り過ぎて行ったのはよく覚えている。いつか絶対にあの灯の1つになるんだと決意した気がする。

 

まあ背景としてその後付き合うことになる女の子と仲良くしていたこともあり、その女の子が隣で星を見ていたこともあり、その幸せの本質が景色だったのか淡い青春だったのかはわからないけど、まあこの思い出はかなり幸せな思い出である。アダージョを聞きながらこういうことを書くとキザになってしまっていけない。

 

今日書きたいことはこんなことじゃなかった。今日は久しぶりに気が立ってしまって、嫌な感じで場を威圧してしまった。いつも仲間と過ごすときはかなりニコニコジョークを飛ばしながら生きているので急に真顔になって黙り込んでしまったらそれなりのuncomfortableを感じるに違いない。曲げられない主張があるときに笑顔でそれを伝えられないのは僕の大きな人間的欠陥である。いかなる議論も笑顔で柔和に終えたいと冷静なときは願うんだけど実際にシリアスな話し合いになると笑顔の作り方を忘れてしまうものである。

 

絶対に相手を傷つけたいわけじゃないんだけど、主張を通そうとすると周りの空気ごと自分の色にしようとして相手を圧迫するのは本当に良くなかった。こういう空気を出すと対峙している相手は縮こまるか負けじと牙を剥くかのどちらかである。もっと強く優しくならないとすべて笑顔のうちに話し合いを纏めるのは大変そうだ。アメリカにいるうちに何とかしたいものである。

 

最近は前までの怠惰な日々と違ってまあまあ活動できているので少しは日々に満足出来ている。この感じが日本に帰るまで続けばだいぶ時間を有効活用出来たことになると思う。明日はテストもフライトもあるので疲れそうだけど、もうすぐクリスマス休暇なので頑張ることにする。休暇といっても家でダラダラするだけだけど。それではごきげんよう