へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

強さ

深夜2時を回って、そろそろ寝ようと思っていたけどそういう気分なので書く。窓の外は黒い雲が垂れこめていて、雪はしばらく止まないらしい。どうせ飛べないならいっそのこと2週間くらい冬休みにして日本に帰らせてくれたらいいのに、そう思った。まあこのスローライフの中でしか学べないこともたくさんあるのでとりあえずは今勉強できることを頑張ることにする。

 

ちょっと前から新しく習慣にしようと思っていることはとにかく自分の中にある何か

を外に出すことだ。歌ってもいいし、踊ってもいいし、書いてもいいし、描いてもいいし。インプットばかりだと自分の中でいろいろが渋滞するから外に出していかないと効率よくレベルアップ出来ない。大きな教養を得られる日本の教育の弊害だと思うけど、とにかくアウトプットが少ないと思う。抽象的な概念を学んだり、ムズカシイ演算を習ったりしても実生活で使ってみようと思わなかったらただの点取りだけで終わっちゃう。

 

人間関係について書こうと思う。確かに、渋谷のスペイン坂にあるあのカフェはいい場所だけど今日はそっちじゃなくてもっと一般的な概念の人間関係について書こうと思う。

 

近頃の僕の周りの人間関係はとことん希薄だ。うっすい。というか、偏っている。まず日頃から関わる人、これはもう本当に同居人の5人、それだけ。同期は他に数十人いるけど、みんなとは授業がないと関わらない。東京にいた頃を思い出す。まずは家族、兄ちゃんが就職してからは4人家族だったけどご飯は一緒に食べてたしそれなりに関わっていたと思う。僕に反抗期がなかったのも大きいと思うけど。

 

地元の友達。また仲良くなったのは大学に入ってからだったけど月に3回以上は飲みに行ってたと思う。いつもメンバーが決まっていたのでやりやすかった。そしてそして季節によって移ろう出かける人たち。定期的に会う人もいれば数回しか会わなかった人もいたけど僕の余暇はみんなで満たされていた。小さいときから広く浅くタイプだったのでいろんな人と会えるのはありがたかった。

 

みんなと会う予定を立てるのにLINEもいつもにぎわっていた。通知の来ない寂しさに辟易することもなく、暇なら誰かを誘うだけの簡単な話だった。それが今はどうだろう。家族との連絡は月に2回くらい。電話なんて半年以上していない気がする。地元の友達はたまに電話をくれていたけど、そろそろみんな僕を忘れた頃だろう。小中高の相棒たちは俺の気が向けば電話出来るのでまだ頼れる。他の、ずっと連絡を取ってくれていた人たちもいよいよ話題が無くなった頃合いだろう。会えないと話す種がないので致し方ない。

 

つまるところ、人付き合いとは会うことなのだ。交友とは顔を合わせることであり、人間関係の深さは面会の数を時間で微分して出てくる傾きのようなものなのだ。俺たちという何ともふわっとした響きであらわされる集まりも、日本に帰ればもう少し薄めの濃度に希釈されていくんだろう。

 

父親についてだって同じことだ。言わずもがなだけど僕には父親が2人いる。1人は1度しかあったことがないけれど。血縁という不思議なつながりを盾にしてもう一人も一応父親と呼んでいるけれど、僕にとって本当の父親はただ一人、育ての親であることは言うまでもない。人間関係とは顔を合わせることだからだ。そういう意味で、父親のような人はたくさんいる。僕はたくさんの優秀な頭のおかしい人たちによって育てられてきた。彼らはみんな僕の父親のようなものである。

 

話が逸れたけど、要は日本に帰ったら、どんな人間関係を築いていくかということなのだ。家族はもうしばらく盤石な基盤として機能してくれることだろう。でもその他の交友関係はどうなるんだろうか。大学は神奈川の遠くにあって、僕はもう少し東京の方に住む予定なので今のパイロットの仲間たちとはまたちょっと遠くなると思う。

 

大学生活といえばサークルみたいなところはあるけど、日本に帰ればもう3年生。今更何かに所属しようとするのも考え物だし、受け入れてくれるようなところもあまりないんだと思う。から、そういう集まりに期待するのは今のうちからやめておこうと思う。となると、後は地元か。地元の集まりはきっと安定的な飲み会の場として居心地の良さを提供してくれると思う。昼間に遊んだりはあんまりないと思うけど。

 

まあファゴットに頼っていろいろなオケを転々としていれば意外と頻繁に会うようなお友達も増えるんじゃなかろうか。オケって人が多すぎるから意外と1回2回乗っただけだとまともに人と話さずに終わったりすることもなきにしもあらずなんだけど。

 

纏めると、希薄な人間関係を達観しつつ、恒久的な付き合いになりそうな人々を見極めて大事に育てていけたらいいな、ということですね。はい。