へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

教養の効用

今日はバイトの予定だったけど、諸事情によりなくなり、丁度ゆっくり勉強したいと思っていたところだったのでまあよかった。前回の試験が終わってからあんまり集中できていないと感じていて、昨日はほぼ無理やり3時間くらい勉強したら出来たけど、このまま楽な方に流されては人類の堕落した歴史を繰り返すだけなので何とか踏ん張って頑張らねばなるまい。

 

というわけでいつもは午後からきている大学に午前中から来て何時間か勉強することにしてみた。学びたいことはたくさんある。最近はAmazon prime readingの中でめぼしい自己啓発本の類は読んでしまったので365日一日一項目ずつ読んでいく教養の本なるものを読んでいる。とりあえず学んだのはアルファベットの起源が古代エジプトにあるということだ。

 

自分は教養の大切さをまあ良く分かっている方だと自負している。幼いころからまあ一般的な中流家庭に見られるまあまあの教育を受けてきたわけだが、運よく毎年東大に30人くらい受かるような高校に通っていたので勉強は大事にやってきたつもりである。高校でも良く言われていたけど、教養というか、いろいろな分野に対して好奇心を持って学んでいく姿勢というのは人生において非常に大切だと思う。

 

そう、僕は教養とは、「学ぶ姿勢」そのもののことだと思っていて、教養がある人とは、「常に学ぶ姿勢を持っている人」ということになる。殊に変化の激しいこの時代においては、知識というのは劣化しやすいし世の中に現存する知識自体膨大なのでどれだけの知識が脳みそにストックされているかどうかは重要ではないと思う。それよりも、学ぶ姿勢を持ち続けて使える機器を使い、自分をアップデートしていく姿勢のことを教養というんだと思う。

 

教養が目に見える形で人生の役に立つのは多分少なくとも30代になってからだと思う。大人になって自分の力で食べていけるようになってからでも学び続けている人と学ぶことをやめてしまった人とではかなりの情報量の差があるのではないかと思う。そういう年になって、例えば世の中的に成功していると言われる人と接するときに、教養というのはぽろぽろと自分の言動の端々からこぼれてきてしまうと思っている。あんまりいいいい方ではないけど、ポンコツは会話しただけでポンコツであるとばれてしまう。

 

それに、教養があると全く関係ない分野のことでも理解しやすくなったりするので自分の脳みそというのは指数関数的に成長していくと思っている。人間が何かを理解するときには、前提となる知識や類推できる事例がもともと頭の中に無いと中々難しい。教養のある人というのはそれまでの「学ぶ姿勢」によって身についたたくさんの参考例があるために理解が難しい事象でも比較的簡単に理解できる。

 

バイトでも、大学の授業でも、「教養」を持っていれば学べる量や深さがかなり違ってくる。今は授業がないので自分で教科書を読んで頑張るしかないのだが、毎日ちょっとずつ、深い自分になりたいと思う。