へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

心の栄養

今日も一日天気が悪く、最近中々日光を浴びられていない。このどんよりした気候はこの土地の冬の風物詩なのだが、やっぱり日本の毎日深い青空が広がる冬が好きだ。さすがにまだ雪は降っていないが、後1,2週間で初雪になるらしい。気温が低すぎるせいで一度降るともう積もり始めてしまうので何とか持ちこたえてほしいところである。

 

最近はD.カーネギーの本を読んでいる。鉄鋼王として、はたまたカーネギーホールで有名なあのカーネギーである。本の題は、「人を動かす」で、いかにして自分の周りの人間をある意味操り、思い通りに動かしていくのかということが書いてある。まだ最初の2章くらいしか読んでないけど。

 

ここまでに学んだことは、とにかく人を褒め、決して欠点を指摘するようなことはしていけないということだ。人間の内に秘めたる最大の欲求というのは、性の衝動ど「承認欲求」であるらしい。どんな人間でも、誰かにその存在意義を認められたいと思っているし、ある意味それ自体が生きる意味になっているのだそう。つまり、それを満たしてくれるような人のところに人は集まってくるわけである。

 

確かに、われわれ人間は他人の欠点を指摘することの方が得意かもしれない。ここ1週間くらいで振り返ってみても、誰かの欠点を指摘したり、気に入らない部分を見つけた回数の方が、誰かのすばらしさを発見したり素直に感嘆し称賛した回数よりも多い気がする。これはある意味パラドックスで、自分自身の存在意義を認められたい≒他人よりも優位に立ちたいと思うがゆえに、他人の素晴らしい点よりも素晴らしくない点を無意識に探してしまうのだと思う。

 

なるほど、ここに他人より少し深い人間になるポイントがあるというわけか。人間の根本的な欲求を理解し、利用するためには、自分の無意識に存在する「他人より優位に立ちたい」というちんけなプライドのようなものをまずは捨てねばなるまい。そして、素直に他人の素晴らしい点を見つけようとするような姿勢を身につけ、それを実際に伝えることでかの人の「満たされたい心」を満たしてやらねば。

 

注意点としてこの本に書いてあったのが、お世辞と褒めるということは違うということである。薄っぺらい、もしくは下心に準拠したお世辞を述べてしまうとそれは返って逆効果になるという。たしかに、折角心が満たされたと思ったのにそれが本心からではなく、「社交辞令」だったことがバレてしまえば満たされかけていた心は更に渇き、あ自分に対する信用も大きく失われてしまうことだろう。

 

毎日、接する人に一つくらい温かい褒め言葉をかけてあげられるような人間になりたい。