へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

心の取り扱いについて

ベートーヴェン交響曲第六番を聞いている。ベトベンは死ぬまでに交響曲を制覇したい作曲家の一人である。今までに5番と7番をやったことがあるが、本当に楽しかった。甘ったれた人生を生きているのでベトベンの苦しみに共感したり、同苦したりするのは難しいが、特に明るい楽章の晴れやかさというか、開けていく感じは実に清々しい。新しい人のように複雑すぎないところも好きかもしれない。

 

今日のテーマは心の取り扱いについてである。最近はずっとこれについて考えているように思える。前にも書いたと思うけど、僕は人を傷つけてしまいがちだ。言動がそもそも過激だというのはあると思う。それにしても必要以上に誰かの心に槍を突き刺してしまったり、お得意のしかとで誰かを寂しい気持ちにさせた回数など計り知れない。

 

最初に明確にしておきたいけれど、僕は十分自分の弱さを自覚しているつもりなのだ。つもりだけど。誰かのことを邪険に扱えるのは自分が誰かに傷つけられようとも平気な強さを持っているからだ、なんて支離滅裂な理論を振りかざすつもりは毛頭ない。今朝はあるオンラインの集まりで自己分析のようなことをしたけど驚くべきことに僕が一番味わいたくない感情というのは孤独なのだ。惨めさでも、劣等感でも、無力感でもなく、とにかく孤独が辛いのだ。

 

最近の願いはこれ以上誰かを傷つけないことである。中学高校の頃からよくあたりが強いと言われてきたけれど、これからはそんな自分の性に甘んじないようにしたいのだ。僕の先生は、(ここではもちろんファゴットの師匠のことを指すのだけど)今まで1度たりとも僕を傷つけたりすることなく、僕の間違いを正し、成長を促してくれたように思う。怒られたことがないわけではないけど、それにしても先生と居て厭だと思ったことはないし、なのに、先生と居て僕はすごく成長したように思う。

 

まだ自分の器が先生のように育っていないのはわかっているんだけど、それにしても今の僕は本当に不必要な軋轢を生みだしている気がする。一番困るのは議論になったときだ。自分の正しさを証明するために誰かを傷つけずにはいられない。自分がそうしたくてしているのならまだわかるけど、本当はそうしたくないというのだから救いがないように思える。議論の相手がどうしても同意しがたい考えに固執しているとき、どうやって相手を傷つけずに自分の考えを理解してもらえるのだろうか。

 

後、厄介なのは、プライドという誇りでも何でもない自尊心の塊の存在だ。自分の心の優越を守るために、よく僕はマウントを取りに行くけどこの悪い癖はいつ始まったのか、どこから来たのやら。相手がマウントを取りに来た場合の応戦も忘れてはいけない。論点をずらすか、あるいは圧倒的に自分が優れていることを示して相手を惨めな気持ちにさせるか、もしくは嘲笑を以って相手を叩き返さずにはいられない。ここまで書いてなんて悲しい人間なんだろうと思うけど、現実とちゃんと向き合うには言語化は避けて通れないので続けることにする。

 

まあこれは世間一般に広げてもいいことだと思うので一般化しちゃうけど、なんで人はこんなにもマウントを取りたがってしまうのだろうか。軍隊でもない限り、というか統率の取れた組織であることが求められない限り自分と相手の優劣を決める必要なんてないじゃないか。どっちが上かお互いに主張しあったところで指揮系統の上で必要なわけじゃないし社会生活を営む上で利益が得られるわけではない。小さな心の優越のために相手の欠点を指摘したりお互いに悲しい気持ちになることをするのは不毛でならないと思う。けど、僕は目の前にいる相手より優れた人間でありたい、と、そう深層心理の中で切に願っているのであろう。

 

ここまで自分の至らなさを吐露したところでさらに絶望的な事実をさらに記しておくと、僕は愛されたいと思っているのだ。身の回りの人間の細小な心の機微も大事に出来ないのに、この人間の出来ればすべてを受け入れ、愛してほしいと思っているのだ。一度日本に帰ればだれか適当な相手が見つかって、きっと心身ともに満たされるのだろう、なんて考えているけれど、やはりここには僕の浅はかな魂胆が見え隠れしていて、それはつまり、自分が大切にしたいものだけを大切にすればよくて、自分がどうでもいいと思うことに関してはどれだけ冷徹であっても構わないと、そういう風に思っているのだ。

 

だけど未だに、誰も傷つけないように暮らせる方策というのは思い浮かばない。まずは目の前に大きな壁が一枚、横たわっているのをご存じだろうか。今まで僕は、ある意味こういうキャラクターで生きてしまっているのだ。周囲からもそういう人間と認められて生きている。立場の弱い誰かを嘲笑の的にしたり、あるいは自虐も交えながら周りの人を笑わせてきたのだ。それが急に、これから誰かの心をないがしろにするような行動は控えますといったところで誰も受け入れてはくれないだろうし、僕がそういったからといって僕の心まで同様に扱ってくれるわけではないだろう。

 

とりあえずは自分がとにかく強くなって、マウントを取らなくても自尊心が満たされているような状態にしてあげるのと、同時に自分の至らなさを掘り下げていくことで周りの人みんなを尊敬できるようになれたらいいなと思う。心の取り扱いの詳細についてはもっと深く研究していくことが必要そうである。

 

長くなったけど、それではごきげんよう