へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

お勉強

昨晩からしんしんと降っている雪は今朝から昼にかけて一層強くなり、外の景色は朝よりもいっそう白に磨きをかけている。きっとこの雪は次の春まで解けないんだろうな、なんて思ったりする。恋愛における僕の凍った心も次の春までには溶けてほしい、そう願ってやまない。

 

さて、今日はお勉強というものについて考えようと思う。日本人として生まれてきた以上、お勉強は小学校に入ってからの学校生活の基盤であり、知らず知らずのうちに学生生活の大部分を占めてきた。ほとんどの人が学校生活の大半の時間をお勉強に充てているのにも関わらず、彼らが学生生活を回顧するときにそれがメインのお話にはなりえないのは実に興味深い。

 

小学生の頃から順番に考えていくと、まずお勉強は好きでも嫌いでもなく、さほど大変なわけでもなく、日常生活に組み込まれている作業の一環として存在していた。何かを学んでいるという実感はなくて、ただただ与えられる作業をこなしていただけで特に深い感情は抱かなかった。両親には厳しく教育されていたので学校のお勉強以外にもたくさんの教材をやらされたけど、まあ当たり前のように、また、普通の子のようにめんどくさがりながらやっていたと思う。

 

中学校に入ると、だんだん成績というものがシビアになってきて、タダで100点を取れた小学校の頃とは違ってだんだんと努力を要するようになってきた。でもやっぱり塾に入るまではアカデミックな視点で勉強なんて見ていなくて、でも勉強は個人の能力を数字で示すしそれが結構重要なものとされていたからいやいやながら学校の茶番に付き合っていた。得意不得意はあるけれど好きな科目も嫌いな科目もなかったように思える。受験生になってからは塾の先生の言うがままに楽しく授業を受けて何となく頑張って宿題をやっていたけどやっぱり勉強がそこまで好きだったとは思わない。

 

高校に入ると自分の頭の悪さを思い知らされる羽目になる。そもそも好きじゃなかったのだからしょうがない。努力の仕方もよく分かっていなかった。でもいい大学に入ろうと思っていたので我武者羅にやったと思う。結果はあんまり出なかったけど。まあでも物事の抽象性が上がるにつれて何かを学んでいるという感覚は強くなっていたように思う。あらゆる物事を説明できる普遍性を手に入れるのが学問の目的なんだと思っていた。

 

結局この大学に何となくきてしまったが、今でも勉強は好きかと聞かれればそこまでじゃないと思う。正直教科書を読むよりも実用書とかの本を読む方が好きだったりする。でも学ぶということについて、というか、自分の頭をどうやって良くしていくかについてはだんだん掴めてきたような気がしていて、1回で理解できることも多くなってきた。でもパイロットの世界は試験の世界なのであんまり新しいことを理解したり発見することに喜びを見出す余裕はなくて、とにかくテストに出ることを暗記して試験でそれが書ければいい。でもアメリカに来て気づかされたのは暗記する前に理解することは絶対に必須だし、逆に理解していても暗記してすぐ頭から出てくるようにしておかないとフライトでは使えないということだ。でもやっぱり僕はその暗記したりゴリゴリ覚えたりすることに抵抗を感じるというか、そのものが苦手なのでどうしても理解しっぱなしでフライトで使える形には出来ていないのが現状なんだけど。

 

アメリカで受ける国家試験もとにかく暗記げーだけど、笑っちゃうくらいやる気が出ない。ゆっくり整理して理解していないことを頭に詰め込むのは無理があるし。まあでもグダグダ言わず頑張るしかない。知ってた。