へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

夕方の青

日が昇るのが遅いし、日が落ちるのも遅い。夕方が青い。すぐ終わるけど、今日の九時半くらいの夕方の青は素晴らしかった。思わずブラインドを前回にしてしまった次第。今は真っ暗でちゃんとした名前も知らないような虫の鳴き声の中で窓に自分のパットしない顔がゆらゆら写ってるだけだけど。

 

明日からは、新しい日々が始まる。いよいよ事業用過程の座学が始まるのだ。ここに三週間は新しい知識がほとんどといっていいほど入ってこなくて、(探しに行かなかっただけともいう)そんなにワクワクする日々ではなかった。でも明日からはやっと、新しいことだらけの毎日にまた戻れる。

 

今日はわりかしたくさんのことが出来たのでそういうポジティブな雰囲気になっています。今日はブログとツイッターについて書こうと思います。

 

ブログもツイッターも、どっちも中学生になるまでには始めていたような気がする。エッチなコンテンツを漁る為にパソコンにはなれていたし、小学校の終わりくらいには自分のメールアドレスをタダで作れることがわかって、アドレスを手に入れてからは簡単にいろんなサイトに登録できるようになった。

 

中学生の頃はそのころツボに入ってたRADWIMPSについてばっかり、ブログにもツイッターにも書いてたな。あとは普通に日常生活のこととか。当時の好きな人もブログをやっていて、言わずもがなアメーバなんだけど、その人の書いたものを読んだり、自分の書いたものにコメントしてくれたりするのがうれしかった。

 

ツイッターは主に情報収集のツールだった。RADに関することとか、どうでもいいような面白いこととかバズってることが流れてくるので世の中についていくには便利だったように思う。高校に入ってからは知り合いとやり取りをすることが多くなって、オケの本番の宣伝のためにも使ったりした。何しろ文字数が少ないので只々流動的に情報を流したり拾ったりするだけだった。

 

高校の頃はブログはやってなかった。好きな人にはLINEすればよかったし、今みたいに閑な時間がたくさんあるわけでもなかった。高校時代はその時を生きるのに精いっぱいだったから、こうして何かを書き留めたりするような余裕はなかった。

 

本当に最近になって、高校の友人がブログを書き始めた。それを見て、やっぱりいいなと思って今もこうして書いている。ツイッターは一回の文字数が少なすぎて、表現が苦手な自分にはあらゆることの真意を伝えるのには不十分なのだ。断片的な情報を投げて相手にその意味を読んでもらうのは骨が折れるし、何より投げるのがへたくそなので相手も受け取れない。

 

こういう風にだらだら思っていることをちまちま書く方が自分には合っているのだろうな、と思う。まあ公開はしてないから誰にも伝わったりはしないし、これは自己表現なのかと自問すれば、社会に出してないから自己表現とは言えないと結論付けられそうだけど。ツイッターのアカウントはやっぱり高校同期の動向を知りたいと思ったらなかなか消去は出来なくて、寧ろ頻繁にみているのだけれど、だいたいの人はインスタもかなりやっているので悩みどころです。

 

そもそもツイッターは見る専の人が多くて、自分が発信することが損に感じられることもある。自分が何か発信する分、他の人が何を考えているか知りたいし。でももう人間関係のツールとしてのツイッターにはある程度限界があると自分自身感じ始めているし、そもそもツイッターにいる人の大体はLINE持ってるから話したくなったらLINEすればいいじゃん、ていうのもある。

 

早いうちにやめて時間の浪費をやめたいな、って思い始めてきました。中学高校の頃からの悪い癖だけど、暇なときにSNS徘徊するのやめないとね。俺の人生はそこにないよ。

 

そんなこんなで明日からの新しい日々に備えようと思います。最近あった嬉しいことはあの子が夢を教えてくれたことです。おやすみなさい。