へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

鉄は熱いうちに打て

と、いうわけで現在朝の10時40分、昨晩の投稿からだいたい7時間くらい経った。今は創作活動強化月間に指定されているので(というか今日から施行されたので)、今日も元気に文章を書いてみる。たまには作り話でもしてみようかな。

 

羽のない蝉 第一話

 

あるところに、一人の操縦士がいた。名前は羽色勉(ハイロツトム)。都内ではそこそこの高校を卒業し、医者や商社マンになれという両親・親族の反対を押し切り大学から私大のパイロット養成コースに進学。憧れてパイロットの道を選んだが、いざ養成コースに入ってみれば目を見張るほどの優秀な成績を残せるわけでもなく、操縦の腕もそこまで良かったわけではないが、何だかんだライセンスを取得しエアラインに就職。現在は機長昇格訓練の真っ最中でその年齢は33歳。空の世界で10年以上やってきた。

 

羽色は、このまま機長になってパイロットとして一生を終えるのだろうと考えていたが、そうはいかないのが人生である。年に一度の身体検査で肺に欠陥が見つかり、これはどうしようもないということで乗務を停止されることになった。事実上の失職である。

 

羽色は大学時代の成績もそこそこだったために、就職できたのは新興のLCC。大手のエアラインなら飛行機を降りざるを得なくなった操縦士には何らかの地上職のポストが与えられることになるが、LCCに飛べないパイロットを置いておく余裕はない。10年程の勤務に応じた退職金が支払われ、羽色はあっさりと空の世界から身を引くことになった。

 

不思議な気持ちだった。思えば、大学時代からとうにパイロットに未練はなかったのかもしれない。そもそも、パイロットの世界には不条理が思いのほか溢れている。表面的には厳格な航空法に従っているように見えるのだが、例えば技能審査などは審査官によって合格ラインがかなりまちまちで、見るからに技量の低いと思われるような人間があっさりと試験に合格したりするのだ。羽色も例にもれず、その恩恵にもあずかってきたし、とばっちりを受けもしたのだが、その世界観が肌に合わなかったのかもしれない。ずっと違和感を感じながら飛び続けてきた。

 

日々のストレスも一般的には高いかもしれない。年に一度はパイロットであることを許されるかどうかを懸けた試験がやってくるし、日々の運行でも大きなミスは絶対に許されない。小さいころからの憧れを叶えるために空の世界にしがみついてきたが、いざ飛行機を降りてみると思いの外気持ちは軽々としてきたようだった。

 

さて。問題はどう生きていくかである。あまりにも手続きなどが早々と終わってしまったために次の就職先も見つかっておらず、食べ物にありつけるあてもない。

とりあえず日々の運行のベースだった福岡を離れ、東京の実家に住みながら就職活動を始めることにした。

 

しかし、出ている大学も名前だけ見ればパッとしない。つまり学歴に頼ることは出来ない。持っている資格も今は只の飾りとなってしまったパイロット関連のもののみ。営業、事務、何をとっても同世代からは10年の遅れを取っている羽色に就職するあてなどあるのだろうか。

 

パイロットといういわば夢の世界の住人だった羽色は、夢を破れた者たちが涙を呑んで行ってきた「現実的に考える」ということは初めてだった。好きでもないことを嫌々やるなんて信じられないと、傲慢とも世間知らずとも、極論幼稚ともとれる考え方で三十路まで生きてこれてしまったのだ。今、33歳のこのいま、初めて羽色は世界と向き合うことになるのだった。(続く)