へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

日本人にとっての神様とは

ここアメリカではもうすぐ新学期を迎える。日本より一週間ほど早く、来週の月曜日から新学期のスタートだ。アメリカの夏休みは6月頭から始まるので7月終わりから8月末までの日本と比べるとずいぶん長い。日本もアメリカや欧州にならって1年の半分くらいは休みにするべきだ。生産と消費を半分ずつ行えばちょうどいいではないか。

 

で、前から書きたいと思ってた日本人にとっての神様という概念について書いてみたいと思う。ちょうど昨日もののけ姫を見たところだし。ついでに書くともののけ姫、すごくよかった。ある程度物事がわかるようになった今見ると、それはそれは大きなエネルギーで環境破壊や自然とのかかわり方に対する問題提起がされていることに気付く。クラシックファンとしては映画内のサウンドショスタコーヴィチ交響曲第5番革命からの引用が聞こえてきたのも面白かった。

 

という風に、大半の日本人にとっての神様とは本当に「概念」なのである。何も”という風”に説明されていないのは許してほしい。例えば大半のアメリカ人にとってみれば神様はイエスキリストの父親その人であるし、イスラム諸国の人々からすればムハンマドなのであろうし、仏教圏の方々にとってはお釈迦様なのかもしれない。しかし、日本人の会話に出てくる神様とは特定の誰かを指すものではなくて、何か人々を見守って悪事を働けば罰を与えたり、時には奇跡を起こしてくれたりする”何か”を神様という呼び名で呼んでいるに過ぎない。

 

 こういう状態は、僕個人としてはとても良いのでは無いかと思う。ある意味、大半の日本人は特定の誰かに依存せずに自立出来ていると言えるのではないだろうか。特定の宗教や誰かに頼らずとも、”神様”が見ているからとある程度自分で行動を制御できるし、神様の加護を信じて頑張ることも出来るのだろう。それも、特定の宗教団体や教祖様にお金や対価を払ったりすることなしに。

 

こういう日本人の考え方の背景には、キリスト教も仏教も神道も違和感なく共存しているという社会の在り方があるのだと思う。アメリカに住んでいると、(もちろん地域によって違うのだろうけど)かなりキリスト一辺倒なのが不思議だ。同時に、彼らがとても幸せそうなのもある意味不思議である。

 

今度は、日本人は何を信じながら生きているのか考えてみたいと思う。我々にとってキリストのような絶対の存在はいないわけで、何を規律にし、何に心を支えられながら生きているのだろうか。