へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

進撃の巨人を一気に読んでしまった

バイトがないのと、知識の勉強が一通り終わったみたいに感じてしまっているので勉強時間が少なくなってしまっている。昨日と今日合わせて勉強したのは4時間くらいで、代わりに進撃の巨人の全29巻を昨日と今日で一気に読んでしまった。今週は天気がずっと悪い予報なのでこういう時期はやる気が出ないものである。

 

進撃の巨人を一気に読んでしまったわけであるが、中学生の頃に読んだ時にはわからなかったことが一気にわかってなかなか面白かった。それと、かなり強く社会への問題提起がなされていて、一体どれほどの読者がそういった背景とかに気付けるかはわからないけど、明らかに問題作であることは確かだ。

 

特に自分が心を惹かれたのは、切実な人間の葛藤が悲惨な世界観の中ではっきりと描かれている所である。近年、グロテスクな描写をウリにした漫画が多いように感じられるがこの作品においてグロテスクな描写というのは、過激な描写を求めるサイコパス達の欲求を満たすためではなくこうした人間の心をより鮮明に描き出すために必要不可欠なものだと理解できる。死という極限のテーマを与えられてこそ、人間の心の真の姿を垣間見ることが出来るというのは一つの真理なのかもしれない。

 

ドイツ的な名前が登場人物に与えられていることや、マーレとエルディアの関係から作者が戦間期・または戦後ドイツを意識しているのは明白であるが、ここにもこの作品の興味深さがあると思う。マーレの中で育ったエルディア人の大半は、自らの祖先が刻んできた悍ましい歴史に素直で謙虚な反省の意を示し、その自責の念によってマーレに服従しながら生きていくわけであるが、壁の中の人々の台詞に多く見られる「私が犯した罪ではない」という言葉に一人の日本人として注目せざるを得ない。

 

現代社会に存在する対立や世界の不協和は過ぎ去った歴史における禍根がそもそもの火種となったりしているわけであるが、進撃の巨人で描かれているものの中に昨今の日韓関係の悪化を重ねてしまうというのは一般的な見方であると信じる。我々日本人は戦争世代の過ちをほぼ永久的に償っていくことを韓国人、もしくは韓国政府から求められているわけだが、今を生きる私たちが犯した罪ではないといえば全くその通りなのである。

 

と、考えると大陸に生きたエルディア人と島に移っていったエルディア人は現代社会におけるドイツと日本の対比になっているのではないだろうか。陸続きで各国に囲まれているドイツは現代においても過去の戦争における過ちを何度も何度も謝罪しているが、島国日本でそういう思想は育ちづらかったか、日本人の中にそこまで謝罪が必要だと感じている人は少数派であるように思える。

 

作者がどういう意図でどんな思想を持ってこういう世界の描き方をしているのかはわからないが、それは今後の展開次第によって明らかになるのではないだろうか。