へなちょこ人間の独白

廉司という名前でtwitterを始めました。大学生のブログです。普段考えていることなどを書いています。

心の動き

今日は朝から忙しい一日だった。もともとはゆっくり過ごす予定だったのに、急に上司から「今から来れるか?」と聞かれ、「無理です」というわけにもいかず、何とか準備して1シフトこなしてきた。そのあとは一つ試験に受かったばかりだったので自分へのご褒美に外食をして、明日もバイトがあるし中々うかうかしてられなさそうなのでこの後は勉強して寝るつもりである。今までゆっくり生きて来た分のツケを払っているような生活である。

 

今日のバイトはあんまりうまく行かなかったけど、それでもこの仕事が終わった後はすごく心が高揚していた。そこでふと思ったのだが、小さいころからすごく自分の気持ちに対して敏感だった気がする。良さげな言い回しをすれば、人より感受性が高かったのかもしれない。原因とかはわからないけど、小さいころから割とはっきりと自分の喜びや悲しみや怒りや諸々の感情を鮮明に感じながら生きていたと思う。

 

もしかしたら普通なのかもしれないけど、もしかしたら普通じゃないのかもしれないけど、音楽を聴いたときとか、劇を見たときとか、必ずといっていいほど鳥肌が立っていた。鳥肌が立つのが、感動していることの証拠だとしたら人より感動しやすかったのかもしれない。

 

何が言いたいのかというと、今の「自分でやりたいことを見つける力」が重視されている時代においては、僕のように(こういう風に書くとすごく傲慢な人みたいになってしまうけど)自分の気持ちを敏感に感じ取ることが大事なんじゃないかということである。結局、やりたいことというのは胸が躍るとか、ワクワクするとか、時間を忘れるとか、そういうポジティブな感情を引き起こしてくれるものだと思うし、だとすればそもそも自分の感情を敏感に察知できないと何に胸を躍らせているのかわからないのである。

 

このことはもう高校生くらいの頃から考えていて、今この仕事の研修をしているのも今までの人生でこれが一番自分にとってワクワクする、胸が躍る経験だったからである。自分は小学生の頃から夢が決まっていたのでなかなか夢がない人の考え方を理解出来なかったのだが、多分大抵の人は自分の胸が躍っているという事実に気付いていないか、もしくは胸が躍ることが仕事にならないと思ってしまっているために夢に出来ていないのかな、と今はそう思う。

 

何だか偉そうな文章になってしまったので書き直したいのもやまやまだが、この後勉強しないといけないのでこのままにしておく。みんな、感動しよう。